書評習慣

     『イリヤの空、UFOの夏』 秋山瑞人   電撃文庫

イリヤの空、UFOの夏〈その1〉 (電撃文庫)イリヤの空、UFOの夏〈その1〉 (電撃文庫)
(2001/10)
秋山 瑞人


 卒論のためにセカイ系の作品ばかり読んでいる。全四巻は長かった。帰省の電車の中で読み、眠れなかった夜中に読み、大阪に戻る電車の中で読み、なか卯で読んでやっと終わった。
 スゲェ感動した。小泉純一郎風に言えば「感動したッッ!」

 
 向こうの世界に持っていかれた。
 所詮はラノベだろうと舐めてたら見事に裏切られた。四巻の「最後の道」の章からは最高。胸が締め付けられましたよ。こんだけ感動したのはアニメ版『Steins;Gate』以来である。確かに完成度でいったら『Steins;Gate』に軍配が上がるけれども、直球ど真ん中ブストーリーの哀しさと切なさもここまで貫かれたら認めざるを得ない。確かに展開はあざとい、しかしそのあざとさでなければ出来ないことがある。


 驚いたのは舞台である園原市のディティールの細かさだ。
 作品中で街を再構成しようとすること。惜しげもなく沢山の固有名詞を散りばめる。ラノベとは思えない程に「基地の街」のリアリティが溢れている。さらには豊富なミリタリ知識やオカルト知識によって「基地の街」の怪しさに具体的な輪郭を施して補強している。詰め込まれている知識量が軽くないのだ。作者のオタク的拘りがあちこちから漂ってきてワクワクする。テンプレートにちょっと味を付けた雑な設定だけぶち込んでダラダラダラダラ語ってお終い、という僕の大嫌いな凡百小説とはさすがに格が違う。作者の知識量に裏付けされた生きた設定によって、確かな実在感を持った園原市という「世界」が構築されている。そうだ、ドストエフスキーやバルザックの時代から、優れた作品は何よりも「世界」がくっきりと構築されているものなのだ。特に第二巻の旭日祭のディティールの練り込みには眼を見張った。「なんか現実離れしてるけど実際にありそう」な学校祭だ。祭りの楽しさが伝わってきてその喧噪に飲み込まれそうになる。
 同時に少年少女の三角関係を丁寧に描くのも忘れない。ストーリーが舞台設定に負けていない。キャラの濃さを前提とした如何にも都合の良い展開に頼らず、少年少女の心情の擦れ違いを(エンタメ的デフォルメはあるにしても)的確に追い掛けていくことで読者を引き込んでいく。むしろ浅羽や晶穂なんかは比較的シンプルなキャラクターであるが、そのストーリーの巧みさによって彼等は活き活きと作中で活躍することが出来るのだ。全四巻という文量に頼って全体的にゆっくり展開しがちな本作であるが、二巻までのストーリーテリングはエンタメ作品として充分に達成されている。
 さらに一人称性の高い三人称でありながら、頻繁に視点人物を変えるのが本作の大きな特徴だ。視点人物が頻繁に変わり、時に作者による神の声まで挿入されることによって、物語が沈滞せずに動き続ける感じがある。視点人物が固定し過ぎるとダラダラ垂れ流される心理や感情に飽きてくることがあるが、盛んに視点が動き回ることによって定期的に新鮮さが吹き込まれるのだ。この視点移動によって複数の同時並行的な出来事を記述する凝ったストーリーテリングが可能になり、中でも旭日祭における多層的な物語記述は密度があって素晴らしい。これだけ頻繁に視点変更をさせながらも展開が錯綜しないという技術はかなりものだ。


 だから「水前寺応答せよ」の章から視点移動が一気に減って、浅羽と伊里野のみに焦点が絞られたせいで、三巻以降では語り口が精彩を欠いたという印象があった。一応は他人の視点も挿入しているが野暮ったくて、二巻までのような巧みな視点移動は見る影もない。特に四巻の最初の100pは正直読むのがしんどかった。浅羽の内的葛藤を記述するにはこれぐらいがいいのだろうが、それ一辺倒になってしまって新鮮さが失われてしまった。感情の激しさを書き込み過ぎると冗長になるのはよくあることで、三巻終盤の浅羽がカッターで電波虫を抉るシーンは切羽詰っていたけども余りにも冗長過ぎる。それに「夏休みふたたび・前編」の章で伊里野が悪漢に襲われるシークエンスは、センセーション頼りの展開が都合良過ぎて反吐が出たぐらいだ。
 さらに四巻では「基地の街」のリアリティに溢れた園原市から浅羽達が離れてしまったのだ。彼等が逃げ回る空間には以前のようなリアリティ深度が感じられなかった。オーソドックスな少年少女の逃避行劇になってしまっていた。二巻までのあの輝きは何処に行ったのか。あの視点変更の巧みさと、子細に描き込まれた空間的実在感は何処に行ってしまったのか。三巻の途中から読むモチベーションが失速し始めて、四巻の最初の100pでは「この程度の作品だったのか」と失望が胸に渦巻き始めた。
 それから四巻の途中で伊里野がぶっ壊れたのである。

 
 いやぁ、やっと壊れましたね。
 「水前寺応答せよ」から「夏休みふたたび・前編」までは、切羽詰ってはいたけれどまだ浅羽も伊里野も壊れてはいなかった。むしろその切羽詰った状況をグダグダ説明して冗長になっているぐらいだ。しかし「夏休みふたたび・後編」の途中でようやくこの二人が本当にブチ壊れてくれたのである。ぶっ壊れた少年少女がぶっ壊れた旅をするのだ。もう大好物である。
 浅羽は疲れ果てて悟りモードになり、伊里野は精神退行して奇行を繰り返す。二人ともブチ壊れることでしか自分自身を守れない程に追い込まれている。コンビニのシーンのどうしようもなさとか、バスターミナルの虚しさとか、それらはむしろ簡潔であり、簡潔で明白だからこそ鋭く深く、読者の感情を抉って来る。伊里野の精神退行は切なくならざるを得ない。こういう喪失感は哀しいよ。恋愛小説なんてクソ喰らえと思っている僕でさえ、あぁこれは切ないし哀しいわと鳥肌を立たされた。
 むしろそこには恋情も愛情もないのかもしれない。壊れた二体のロボットが必死で頑張っている、そういうやりきれなさなのかもしれない。


 「南の島」の章におけるクライマックスだ。
 「世界の終わり」と「きみとぼく」を直球ど真ん中に投げ込んでくる。作者のオタク的拘りはもはや潔く排除されてしまった。「世界の終わり」は余りに大雑把で漠然としている。そして浅羽と伊里野の愛は無条件にセカイをも突き抜ける。漠然なものに誇大なものを並べて天秤に載せているのだ。なんたることか。いつもの僕ならもっと丁寧にやれバカヤローと怒号を吐いているだろう。地球を壊滅させられる凶悪な宇宙人の侵攻を、どういう理屈でたった一人の少女が制御する数十体の機体が止められるのか。止められるとすればどういう戦闘形態になるのか。宇宙人の詳細は分からないままだし、それに一度相手を追い返したって次の侵攻がある可能性もある。ただただ機体が急上昇したところでプチッっと終わられても何も分からんじゃないか……
 しかしここまで四巻かけて物語に没入し、壊れた浅羽と壊れた伊里野のおかしな逃避行を読んでしまったら、その余りに純真無垢な直球ど真ん中のダイナミズムにクラクラせざるを得ないのである。設定が雑とかはどうでもいい。むしろ雜だからこそ凄まじく生々しい。ここまで潔くダイナミズムを貫いてくれたらもう素直に諦めてしまおう。感動した。久し振りに心から感動した。
 そして「エピローグ」の章で、読者はここまで没入してきた物語世界から無情にも突き落とされて現実に戻らねばならない。登場人物達を一歩引いた所から眺めつつ、簡潔で明快に、しかし極めて感傷的な語り口によってエピローグを締めくくる。
 そして最後に軽く「校長」で締めるセンスである。このチョイスは素晴らしい。


 僕はこの手の切ない感動物語に凄く弱い。凄く弱いからこそ常に警戒している。
 だから生半可なお涙頂戴なら即刻全否定するスキルを身に着けてしまった。
 その警戒の壁を突破してこられたら簡単に落ちてしまう。今回は突破されてしまった。二巻までで「舐めてたけど普通に面白いじゃないか」と感心させられ、四巻の後半で完全に心の防護壁を突破されてしまった。最早敗北を認めるしかあるまい。エンタメ作品というだけで手放しで評価するのを神経質に警戒して粗捜しを始めてしまう僕であるが、しかし敗北は敗北である、素晴らしい小説でした。
 『デジモンアドベンチャー』の美し過ぎる最終回よりも、『Steins;Gate』の完璧過ぎる最終二話よりも、『トライガン・マキシマム』の格好良過ぎる最終回よりも、最大瞬間風速だけならば本作の方が勝ち。深夜帯に友人宅で市川春子の『虫と歌』を読み終わった後、フリーゲームの『タオルケットをもう一度2』のプレイを目撃してしまった某日に匹敵する甚大な動揺を一人なか卯で味わっていたのだった……まぁ瞬間最大風速の歴代一位はさすがに『タオルケット2』かもしれないけど。


 確かに全体的な完成度には疑問が残らなくもない。
 連載形式のせいか幾つかの設定や伏線が置き去りになっている節はある。四巻もあるから時々展開がダレてしまったのもある。巧みにエンタメを志向していた二巻までと、切羽詰増らせることに注力してしまった三巻以降で物語の語り口そのものが変化してしまって、そのズレが違和感をもたらしているのも事実だ。あと番外編は全体からすると浮いている。
 つーか水前寺である。三巻以降から水前寺部長が急に影が薄くなってしまうのだ。
 「水前寺応答せよ」以降は明らかに物語の中心が浅羽と伊里野になる。それは間違いない。四巻の最後の感動を呼び込んだのはこの二人の物語なのだ。でも作中で一番輝いていたキャラは水前寺なのである。主人公でも伊里野でもなく、断トツで水前寺部長なのである。心の何処かでは第三巻以降に水前寺が大活躍してくれるのを期待していたのだ。部長カッケーッ!! って叫びたい気持ちがあったのだ。恐らく三巻以降で水前寺にヒーロー的活躍をさせるという選択肢もあっただろう。彼の才能で園原市の窮地が引っ繰り返されてもよかったのだ。それだけの魅力と実力を持ったキャラだったのだから。
 しかしそれ故に、水前寺部長の排除こそが、本作の感動的クライマックスを用意している。水前寺というヒーローが排除されて浅羽と伊里野だけが取り残されるということは、従来の正攻法ではこの緊急事態の解決は最早あり得ないということである。主人公達を助け導いてくれる人間はもういない。だから突然に伊里野の真実が告げられても受け入れざるを得ない。荒唐無稽を受け入れざるを得ない程にこの物語世界は著しく解決不可能な状況にある。そもそも水前寺はこの物語世界を詳らかにする知性の代表であった。園原基地の謎にすらも知性の領域から到達出来る唯一の存在だった。その知性が排除されれば、あらゆる超現実な異常事態は存在可能なことになってしまうのだ。
 「水前寺応答せよ・後編」には二つのものが排除される。一つは水前寺部長という個性的で魅力的なヒーローが活躍するエンタメ活劇の世界。そして疎開によるクラス崩壊によって友情で結び付いていた平和な日常学園エンタメの世界も排除される。四巻に到っては実在感を持って描写されていた園原市の「基地の街」のリアリティまでも排除される。二巻以前を魅力的に彩っていた虚飾を引き剥がした所には、もう壊れてしまった浅羽と伊里野だけしか残っていない。
 強引だ。余りにも強引過ぎて作者の不手際をすら疑う。しかし結果的に、最初の二巻で着実に積み重ねてきたものの芯だけを残して他を容赦無く取っ払い、その純粋たる部分だけを読者に突き付けるということに成功してしまった。だからこそ水前寺部長もまた物語から排除されねばならなかったのだ……至極残念ではあるが。


 しかしポスト・エヴァンゲリオン症候群とはよく言ったもので。
 浅羽はシンジ。伊里野はレイ。晶穂はアスカ。椎名は葛城。榎本は加持か、ないしはゲンドウ。西久保と花村はトウジとケンスケ。対応関係がどうしても頭をよぎる。伊里野なんかはほぼ綾波レイのマイナーチェンジだし、それに守られる浅羽は、エヴァに乗れない碇シンジである。重大な任務を帯びたエージェントでありながら、中学生のデートを見張って盛り上がる椎名と榎本は、世界の危機と戦っているくせにやたら人間味臭いネルフの一同を想起させる。活発な晶穂が寡黙な伊里野に突っ掛かる様子はやはりアスカがレイに突っ掛かるのを想起させるし、そこに主人公が絡んでまるで三角関係の体裁を為す。序盤のシェルター事件さえ、シンジが裸のレイを押し倒してしまった例のシーンを引き合いに出すことが可能だ。そして彼等が住む街は危険な場所であり、次第に疎開してクラスは減っていく。
 三巻以降を考えれば、世界の命運を巡る少女とともに逃避行する展開はまんま『最終兵器彼女』である。ヒロインがぶっ壊れて、どうしようもなく付き添うしかない主人公という構図も似通っている。さらに人類レベルだった戦争が、最後の最後になって突然に「世界の終わり」の規模にインフレーションするのも共通している。成程これがセカイ系という奴であろう。
 ただ水前寺だけが異質なのだ……平野耕太の『進め!!聖学電脳研究部』の西新井を想起させるというのは穿ち過ぎかな……魅力的なぶっ飛びキャラであり、『エヴァ』や『最終兵器彼女』と一線を画する本作の個性であった。彼が騒ぎ続ける限り、本作はドタバタ学園エンタメであり続けることが出来た。その個性的なキャラさえ排除して、学園エンタメ活劇の明るさと楽しさを完全放棄して、何もかもが失われてしまった世界で「きみとぼく」だけの逃避行を試みた時、本作は「セカイ系」となったのである。


 あと三つ、本作の長所を挙げよう。
 一つには健全でないことだ。健全ではない。ラノベであることを疑うぐらい下品な台詞や展開が多い。主人公がエロ本を拾ったシーンの酷さは尋常じゃない。しかし下品だからこそ十代の少年少女の溢れる活力が滲み出てくる。下品を描かずに微エロで誤魔化す風潮があるけれど、やっぱり本作の登場人物の方がよっぽど活き活きしている。特にリビドーを発揮しまくっている浅羽の酷さたるや、よくそれで純情ラブストーリーの主人公になれたな。でもそれはそれで微笑ましい。
 もう一つは「セミ」や「夏」や「空」といった情緒豊かなモチーフである。これが最初から最後まで見事に効いているのが良い。学園エンタメであり、「基地の街」のリアリズムであり、同時に一夏の少年少女の叙情的な雰囲気を醸す本作は、的確なイメージの挿入によって奥行きが付けられている。こういう叙情的なモチーフが「エピローグ」の章に結実して、読者をどうしようもない感動に誘い込むのだ。設定や伏線の整理整頓には些か難を感じなくもないが、「セミ」や「夏」や「空」のイメージは最初から最後までしっかりと貫き通されて見事に機能しているのは素晴らしい。このモチーフの巧みさは凡百のライトノベルでは到底達成出来ないだろう。
 そしてもう一つ。いきなり大江健三郎の『死者の奢り』をパロッたり、特に意味もなく『ストロベリー・フィールズ』なんて店を登場させてしまう作者が悪いヤツなわけがないじゃないか! という一方的な決め付けですね。


 とりあえず「感動したッッ!」
 僕は手間暇かけて積み上げられたものが崩れるのが好物である。最初の二巻で丁寧に積み上げた物語世界を右ストレートで容赦なく破壊するような物語はそもそも大好物なのである。それまで積み上がってきた世界を当てもなく取り戻そうともがき、足掻き、たとえそれが取り戻せない程にぶっ壊れたものであったとしても、その残骸を抱きかかえて立ちすくむ、そのどうしようもない寂寥が好きなのだ。
 この半年では最大級の収穫だと思う。卒論のためにセカイ系を読み漁ることがなければ、一生読まず嫌いしてたんだろう。完全に舐めててすいませんでした。確かにセカイ系の例として『最終兵器彼女』と双璧を為すのも頷ける。するとやはり次は『ほしのこえ』か……
 とりあえず水前寺は素晴らしいキャラでしたね。


 2014年6月23日 読了

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